ジョン・ロックは17世紀イングランドの哲学者・政治思想家で、近代自由主義の父と呼ばれます。彼が示した「個人には政府より先に存在する自然権がある」という考えは、アメリカ独立宣言、フランス人権宣言、そして現代の各国憲法の根本原理となりました。さらに知識の成り立ちを論じた『人間知性論』は、近代経験論の出発点として認識論の歴史に名を刻んでいます。
ロックは1632年、イングランド南西部の小さな村で、清教徒の弁護士の家に生まれました。オックスフォード大学で論理学・自然学・医学を学び、医師としても活動します。彼の人生を決定づけたのは、後にホイッグ党の領袖となるシャフツベリ伯爵との出会いでした。伯爵の主治医兼ブレーンとして活躍するうちに、ロック自身が政治思想の最前線に立つようになります。
17世紀後半のイングランドは、王権神授説を掲げる国王と、議会の権利を主張する勢力との激しい対立に揺れていました。ロックは王党派の弾圧を逃れて1683年にオランダへ亡命し、そこで主著の構想を練ります。1688年、無血の「名誉革命」によりジェームズ2世が追放されウィリアム3世が即位すると、ロックは帰国し、翌1689年に『市民政府論(統治二論)』と『人間知性論』を相次いで出版しました。彼の思想はそのまま新体制の正当化と未来の市民社会の青写真になったのです。
ロックの政治哲学の出発点は「自然状態」です。彼はホッブズのように自然状態を「万人の闘争」として暗く描かず、むしろ理性によってある程度秩序が保たれる平和な状態と考えました。その自然状態において、すべての人間は平等であり、神から与えられた「生命・自由・財産」という自然権を持っています。これらの権利は、誰かが与えたものではなく、人間に生まれつき備わったものです。
ただし自然状態には、争いを公平に裁く共通の権力がない、という不安定さがあります。だからこそ人々は同意(社会契約)によって政府をつくり、自然権の保護を委ねるのです。ここでロックの真骨頂が出ます。政府の権力は人民の信託に基づく以上、もしその政府が人民の生命・自由・財産を侵害するならば、人民にはそれを取り替える権利——「抵抗権・革命権」——があると説いたのです。
もう一つの柱は認識論における「タブラ・ラサ(白紙)」説です。人間の心は生まれたときには真っ白な石板であり、すべての知識は経験を通じて書き込まれていく——彼はこう主張し、生得観念を否定しました。これは近代経験論の宣言であり、教育や環境が人間を形づくるという発想は、後の啓蒙思想と教育論に大きな影響を与えました。
「すべての人間は本来、自由・平等であり、自分の同意なしに他人の政治的支配のもとに置かれることはない。」
— 『市民政府論』第二編この主張は、絶対王政を支えてきた「王権神授説」への正面からの挑戦でした。誰も生まれながらに支配される運命にはない。政治権力の正当性はただ被治者の同意からのみ生じる——この発想は、独立宣言の「すべての人は平等に造られ、創造主によって譲ることのできない権利を与えられている」という有名な一節にそのまま流れ込みました。
立憲主義、三権分立、議会制民主主義、私有財産制、信教の自由、宗教的寛容——現代の自由民主主義を構成するほぼすべての制度に、ロックの指紋がついています。アメリカ建国の父たち(ジェファーソン、マディソン)は彼の著作を熟読し、独立宣言と合衆国憲法に直接反映させました。日本国憲法の基本的人権規定も、間接的にロックの自然権思想に連なっています。さらに、デジタル時代における「自分のデータは自分のもの」というプライバシー観念や、知的財産権の正当化論にも、ロックの財産権理論が応用されています。
「ロックは無制限の自由を擁護した」という理解は不正確です。彼の言う自由は「他人の自然権を侵さない範囲での自由」であり、放埒な好き勝手とは区別されます。財産権についても、自分の労働を加えることによって正当な所有が生じると論じ、必要以上に独占して他者の生存を脅かすことには否定的でした。
また「ロックは民主主義者だ」と単純化されがちですが、彼の時代の「人民」は主に財産を持つ男性市民を指し、女性・先住民・植民地の人々はほぼ含まれていませんでした。彼自身、植民地経営に関与した過去があります。ただし、彼の打ち立てた原理が後世に拡張され、より広い人々の権利保障へと結びついていったこともまた事実です。
ロックは個人の尊厳を重んじる点でカントと深く共鳴します。同じ社会契約論者でもホッブズとは対照的で、ホッブズが秩序維持のために絶対主権を要求したのに対し、ロックは権力の制限と抵抗権を強調しました。経済の領域ではアダム・スミスが自由市場論でロックの財産権思想を受け継ぎ、近代自由主義の土台を築きます。一方、構造的な階級支配を告発したマルクスは、ロック流の所有権論こそが資本主義の不平等を正当化していると批判しました。